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陣ノ内館跡

更新日:2012年1月26日

謎の城、陣ノ内館跡

陣ノ内館跡ってなに?

 「陣ノ内館跡」は、昭和55年2月23日に甲佐町文化財に指定された城跡で、甲佐町の下豊内(しもどい)集落の東側、字名に「陣ノ内(じんのうち)」の地名を残す丘陵地(標高100m・集落より比高60m)上にあります。その規模は東西約210m、南北約140m、面積は約3haに達します。陣ノ内館跡への順路は下記ファイルをダウンロードして参照してください。

 
 
陣ノ内館跡の空中写真〜南から〜

陣ノ内館跡の空中写真〜南から〜


広大な平坦部分を中心に、南側・西側は急峻な自然地形のほか北側・東側は大規模なカギ型の空堀(幅15〜20m、総延長400m)・土塁(高さ5m)に囲まれています。周囲全てを堀や土塁、崖、急斜面に囲まれた堅城であったことが現在の地形からも想像できます。
 
  

陣ノ内館跡の北側・東側に鉤型に廻る空堀の写真陣ノ内館跡の北側・東側に鉤型に廻る空堀。
石垣はなく、土塁と合わせた落差は10メートル以上になる。


 

陣ノ内館跡の空堀に沿うように作られた土塁の写真陣ノ内館跡の空堀に沿うように作られた土塁。
長さは100メートル以上、高さは5メートル以上になる。  .
 
上流の山間部から流れてくる緑川を中心にみれば、山間の地形が続く上流側から館跡がある豊内地区に入ると平野が一気に開け、甲佐町内を広く見渡すことができるこの台地上は、一級河川緑川の中流域の要所として非常に重要視されます。
 

いつ作られたのか?

 陣ノ内館跡については、『肥後国誌』や「古城考」などの文献資料に“阿蘇大宮司の館跡”として登場しますが、いずれの資料も後世に伝承等に基づき書かれたもので、築造時期や城主など明確な記録は現在まで見つかっていません。いま残っている大規模な空堀や土塁は、阿蘇大宮司が力を奮った中世のものと考えるには難しく、近世城郭のような面影もあります。館が築かれた時期や城主は、陣ノ内館跡最大の謎ですが、今後の発掘調査の成果によって明らかになっていくことでしょう。

 


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お問い合わせ

甲佐町教育委員会 社会教育課 社会教育係
電話番号:096-234-2447この記事に関するお問い合わせ


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