甲佐町の文化財探訪「甲佐町の板碑(逆修碑)について」〜令和5年11月号
「甲佐町の板碑(逆修碑)について」
竜野の城平(じょうびら)には板碑(逆修碑)があります。
板碑は、東向きに立っています。石材は砂岩で碑の中央上部には、阿弥陀如来のキリーク文字が刻まれています。銘文によれば、貞阿弥陀を筆頭に六名により大永5年(1525)2月28日に建立されたことがわかります。結衆板碑(けちしゅいたび)と呼ばれる石碑です。多くの名前が記され、武士や農民男女が生前供養合同法要を営んだ事実を伝えるモニュメントです。
本町には、板碑(逆修碑)が、二十基以上あります。
板碑が建てられたのは戦国時代の1500年代に集中しています。板碑は亡くなった人を弔うお墓ではありません。板状の石に、仏を表す梵字や供養者の名前、供養した年月日、供養の内容などが刻まれています。
白旗地区の四堂崎にある阿弥陀如来像板碑も大永五年(1525)建立と記されています。この板碑には53名の法名が記されています。地域住民男女が生前供養合同法要を営んだ事実を伝えているのです。
また乙女地区の「田原板碑」も大永5年に建立された結衆板碑です。
四堂崎の板碑、城平板碑のある地区とは緑川を隔てた場所になります。
この大永5年(1525)の時代背景として肥後国めぐる大友氏、島津氏、龍造寺氏の覇権争いがあります。中央では戦国大名による天下統一の戦乱が熾烈を極めていた頃です。戦いに明け暮れ明日をも知れぬ日々を送っていた人々がいた頃です。
この大永5年の頃の甲佐町は、阿蘇大宮司職を巡る一族の紛争、そして甲佐町の統治が小康状態の頃です。戦乱の中では、農民もさることながら武士といえども平和に安穏と暮らすことは至難のことでであったに違いありません。
本町に点在する板碑(逆修碑)は当時の人々の「現世安穏 後世善処」の言葉のとおり生きる事への支えとなるものであったと思われます。
文責・甲佐町教育委員会 赤星 眞照
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