甲佐町の文化財探訪「立神の阿弥陀如来像」〜令和2年6・7月号
「立神(たてがみ)の阿弥陀如来像」
竜野の立神地区について、早川神社の渡邉玄察は【拾集昔語三】で「立岩森(タテイハモリ)甲佐川筋此當りに水神頭(スヰジンカシラ)にて侯 前々彼(カノ)大岩下深淵(シンエン)にて侯ひつる由語傅侯 たてがみと云所は立岩になぞらへたてがんと申侯ひつらんと察侯」
と記しています。
この立神の公民館に阿弥陀如来像が安置してあります。この阿弥陀如来は台座20cmで身長80cm、厨子(ずし)の間口(まぐち)は40cm、奥行き40cm、高さ120cmの大変整った立派な仏様です。古老の話では、「銘はわからないが、かなり古い仏像と思われる。」 とのことでした。
祭日は11月19日で寿専寺(じゅせんじ)の住職を招いて読経(どきょう)をお願いしているそうです。
先日、天満宮祭明細帳(てんまんぐうめいさいちょう)が入った手文庫(てぶんこ)の中にこの阿弥陀如来の由来を記した「阿弥陀堂一宇(あみだどういちう)」の古文書が発見されました。この古文書には、
「さて当所阿弥陀仏の由来を往古延暦年中忝(かたじけなく)も伝教大師御建立の寺院にて古閑寺と申して坊社等数多くあり。大師造立の霊佛安置奉る。中古慶長年中までを寺坊等余計有之。 その時当国小西摂津之守殿あまり所にて、兵火に寺院悉く消失いたし候。その後年久しく土中に埋まり御座候(略)この節再建打立て候ところ 於別(けんべつ)の儀に住みがたし 仍(よ)って大小に係わらず他力御助成ご供養をもって滞りなく再建なりたてまつる」
と記してありました。
小西行長が甲佐町の領主であったのは、天正16年(1588)の頃です。この古文書から想像すると、阿弥陀如来像はそれ以前の仏様ということになります。
身長80cmもある阿弥陀如来像です。寺院の本尊として大切にされてきたものと思われます。今後とも大事に守っていかねばならない文化財です。

文責・甲佐町文化財保護委員 赤星 眞照 (有安区)
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