甲佐町の文化財探訪「石間伏(いしのまぶせ)=(まどろみの石)」〜令和3年7月号
「石間伏(いしのまぶせ)=(まどろみの石)」
安平区に「甲佐大明神降坐之碑(こうさだいみょうじんこうざのひ)」が文政2年(1819)に建立(こんりゅう)されています。
碑文には
「神生まれて七歳、封を甲佐に受け初めて阿蘇より来りたもう。御宿に次りて後、霊は其の所にて祠を建つ。(略)」
と記されています。
伝承によると、「阿蘇大明神(あそだいみょうじん)である建磐龍命(たていわたつのみこと)が、第二子の甲佐神を南方の守護神とするために、鏑矢(かぶらや)を放って矢がおちた所に社(やしろ)をつくる。阿蘇の山から降臨された所が安平(やすひら)である。その途中、御宿をとって休まれた所に「石間臥」(マドロミの石)といわれている巨石がある。この石祠(約2m)が磐座(いわくら)(※1)というものである。甲佐神の後霊として祠(小さな社)を建てている。」と言われています。
また、大正10年に上益城郡役所によって編纂された当時の自然や歴史についてまとめた「上益城郡誌」には、以下のように記してあります。
「甲佐明神が7歳の時、甲佐の地に封(ふう)ぜられて、阿蘇より山を伝って甲佐に来たりたもう。供奉(ぐぶ)(※2)の人、13人。安平村の北の山の上に大きな石あり、この所に伏したもう。故に石の間伏という。マドロミノ石とも言う。また休みたもう所を山宮(※3)といい、昔は社あり、今は森のみ残れり。」(甲佐明神御降座に関する伝説)
この石間伏(まどろみの石)は、目野または安平から鹿里へ続く山道(林道山上幹線)の途中にあります。
石間伏をよく知る古老は「甲佐神社の先々代の宮司と安平・目野の人とで甲佐神社の始まりの大事な場所だから大切にしなければならないと話し合い、昔は石間伏(まどろみの石)のあたりを掃除し、御神酒(おみき)をあげつつ酒宴を催していた。それも一人欠け二人欠け、いつしか古老の父のみになり、今では私が時折行くだけです」と話されました。
甲佐町の鎮守である甲佐神社はここから始まったと伝えられています。
- 磐座(いわくら、磐倉/岩倉)磐石で築いた神聖な場所。
- 供奉(ぐぶ)行幸や祭礼などのときにお供の行列に加わること。また、 その人。おとも。
- 山宮(やまみや)山を背にし、あるいは山を望む山頂に近い所にある神社。
石間伏(まどろみの石)遠景
石間伏(まどろみの石)(近景)
甲佐明神降坐の碑
甲佐神社
文責・甲佐町文化財保護委員 赤星 眞照(有安区)
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