甲佐町の文化財探訪「おたっちょさん」(伝 阿蘇惟前公墓)〜令和2年3月号
更新日:2020年3月1日
「おたっちょさん」(伝 阿蘇惟前(あそこれさき)公墓)
竜野の小原に昔から「おたっちょさん」と呼ばれる場所がある。「おたっちょ」とは、お館様のなまったものともいわれている。竜野は阿蘇大宮司の拠点である「浜の館」のある矢部との交流の重要な地点であった。阿蘇惟前公とは、永正10年(1513年)、阿蘇惟豊(これとよ)との争いに勝利し、阿蘇神社大宮司となり大永3年(1523年)に堅志田城(美里町)を落とし、20年間甲佐・砥用・中山を支配下に治めた人物である。別の伝承によると、この場所は、阿蘇惟前公と敵対する阿蘇惟種公の墓だともいわれている。当時の武士は、阿蘇大宮司の統率のもとにあり、あちこちの谷や小盆地を支配している小領主たちであった。知行原(ちいきばる)や城平(じょうびら)などの地名は、その当時の武士団の様子を表すものであろう。
また、寛政8年(1796)8月中旬 、小原村の彦左衛門、孫右衛門、弥右衛門、孫左衛門、善右衛門の五人衆が供養塔を作ってここに寄進(きしん)した。阿蘇家の八男、八郎殿が小原に住んでおられたが、文禄2年(1593)死去された墓地と伝えられている。八郎殿の武将名についてははっきりしない。宝篋印塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる墓標は形が崩れ落ち、塔の各部が分散。梵字の刻まれた一部が残っているだけである。「おたっちょさん」は「お立寄り」からきているとの説もあるが、当地と阿蘇氏のかかわりが想像できる貴重な文化財である。
文責・甲佐町文化財保護委員 赤星 眞照 (有安区)
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