甲佐町の沿革と歴史
更新日:2021年5月28日
歴史
甲佐町は、徳川(江戸)時代、甲佐手永総庄屋の支配下に統一されて、現在の各大字は独立した町村として、それぞれの庄屋に支配されていました。
明治4年7月の廃藩置県、明治5年6月の大小区制により、旧甲佐町、宮内村、竜野村の各地区1町15村を1区とし、岩下町に戸長役場が置かれ、また旧白旗村、乙女村地区の13村を1区とし、津志田に戸長役場が設置されました。
その後、明治11年7月郡区町村編成法が発せられ、各戸長役場の区域が変更されました。
明治17年5月には、戸長役場区域の拡大が指令され、岩下町列として旧甲佐区域、小鹿村列として旧宮内村区域、上早川村列として旧竜野村区域、糸田村列として旧白旗村区域、津志田村列として旧乙女村区域がそれぞれ独立した行政区となり、新しい戸長役場が設置されました。
引き続き明治22年4月に市町村制が施行され、旧甲佐町、宮内村、竜野村、白旗村、乙女村の甲佐郷5ヵ町村が誕生しました。
昭和30年1月1日に、旧5カ町村(甲佐町、宮内村、竜野村、白旗村、乙女村)が合併。現在の新しい甲佐町が発足しました。
沿革
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