甲佐町の文化財探訪「宝暦6年の小山田文書をみてみると」〜令和7年7月号
更新日:2025年7月1日
「宝暦6年の小山田文書をみてみると」
最近連日話題になっているものに「米の価格高騰」の問題があります。
それと一概に比較はできませんが、江戸時代の古文書「小山田家文書」の宝暦6年(1756)の項にも当時の飢饉の様子が詳しく記載されています。
それによりますと、前年からの不作で米が穫(と)れなかったために、甲佐手永では正月から難儀(なんぎ)していた世帯が多数あったことが記録されています。そのため、正月明けから餓死者(がししゃ)が出ないように米や銀などを、甲佐手永(※1)の各世帯に配布した様子が事細かに記載されています。
具体的には、まず2月7日に男女27人に八斗五升八合の米が配られています。その後、13日には別の男女30人に、24日には男女13人に銀を二十四分ずつ配ったとあります。
また、3月9日には米一斗五升二合(※2)が男女13人に、4月9日には男女50人に米二斗が配られています。
この様に当時の状況が記録として現在まで残されていることに驚かされます。
現在ではパソコンで一瞬のうちに記録できるのでしょうが、当時は一つひとつ確認しながらの作業であり、大変だったに違いありません。
それにしても、昔から日本人は米と切っても切れない関係なのですね。
※1:手永制度は細川藩の行政制度であり、手永は行政区画を指す。
※2:一斗(と):約18リットル、一升(しょう):約1.8リットル、一合(ごう):約180ミリリットル
文責・甲佐町文化財保護委員 石坂 妙(吉田区)
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