甲佐町の文化財探訪「宝暦4年の小山田文書をみてみると」〜令和6年3月号
更新日:2024年3月1日
「宝暦4年の小山田文書をみてみると」
今回は、「小山田家文書(おやまだけもんじょ)」の中の宝暦四年(1754)の事について、少し述べてみたいと思います。
この時代は丁度江戸中期、ここでも人々の暮らしも平穏だったことでしょう。そんな中、小山田平三郎さんが八丁村の庄屋に任命された際に、年頭に何をするかが、事細かに14項目にわたって明記されています。年頭ですので、これから自身がすべき事が書かれていますが、今の時代とちょっと異なると私が感じたのは、「氏神社」が上位にきていることです。
当時は、現在のような役所(役場)もないと思いますし、庄屋として人の往来も念頭に入れてあり、引っ越しや転居についても役目だったのではと思います。それに内外の事にも気を廻らすことも多かったようです。筑後(現福岡県南部)の国のお家騒動まで気にかける様子が事細かに書かれています。
それにしても当時の産業とてあまりない時代、農業は基幹産業の筈(はず)なのに、庄屋としての役割は田畑の管理や種や籾の管理が任せられる位で、この件に関しては別の部署があったのではないかと推察されます。
ほんの約300年前の書き付けですが、庄屋の仕事の合間に書かれていたとは驚きです。現在ではパソコンが主流になりつつありますが、果たしてこれからどの位のものが資料として活用されることになるのでしょうか?
文責・甲佐町教育委員会 石坂 妙
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