甲佐町の文化財探訪「宝暦5年の小山田文書をみてみると」〜令和6年9月号
更新日:2024年9月1日
「宝暦5年の小山田文書をみてみると」
前回(令和6年3月号)地名と人名は一番注意しなければいけないのに、つい不注意で失敗をしてしまいました。正しくは平四郎ではなく、平三郎でした。失礼しました。
この平三郎は庄屋2年目(宝暦5年)に次郎兵衛に名を改めています。今回は宝暦5年の次郎兵衛の日記の中から刑法に関することについて述べてみようと思います。
日記には刑の種類が増えたことが記されています。それによりますと髭や眉を剃って罪人と普通の人を区別し、その他笞(ち)や徒(と)等の罪状がここで見られます。因みに笞(ち)は細い木の枝で作ったムチや棒でたたく刑罰。罪の重さで打つ数は変わります。徒(と)は労役に服させる刑罰。墨(ぼく)は入れ墨をする刑罰。劓(ぎ)は鼻を切り落とす刑罰。剕(ひ)は足を切り落とす刑罰。宮(きゅう)は男性は去勢、女性は生涯幽閉する刑罰。その他死刑に次ぐ重罰などがありました。この中の徒(と)ですが、労役に服したら、日当が支払われ服役後ちゃんと生活出来るようなシステムだったといいます。このシステムは熊本(肥後藩)が初めての試みだったともいわれています。この日記にも罪人と罪状が控えてありますが、殆どが笞(ち)の者でした。
※刑法については
鎌田浩 1966「先駆的な肥後徒刑の法」『藩法研究會編 藩法集7 熊本藩』
肥後藩主 細川重賢公の「銀台遺事」を参考にしました。
入れ墨の図
文責・甲佐町文化財保護委員 石坂 妙(吉田区)
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