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甲佐町の文化財探訪「四堂崎(しどうざき)と養寿院(ようじゅいん)のこと その2」〜令和3年3月号

更新日:2021年3月1日

「四堂崎(しどうざき)と養寿院(ようじゅいん)のこと その2」

 「広報こうさ12月号」に続いて「四堂崎と養寿院」について記載します。

 中世の養寿院は、「比叡山の末寺で八代郡種山金海山・大恩寺釈迦院の下」と伝えられ、「本尊は普動明王(原文ママ)、本堂並び奥の院で堂が二つあり、其他にも多くの家がある。」という記載もあり、今では想像も出来ないくらいのお寺だったようです。

 この時代は寺院への寄進(きしん)も数多く、養寿院の領地も相当あったものと思われます。その中で、四堂崎の最初の住人であった緒方清兵衛さんが住んだと言われる「馬場」は緑川近くの四堂崎にあり、出家僧や当時の緑川の水路を利用した参詣の人々も多く、賑わいをみせていたといいます。また、代々の住職の墓なども一同に集められていました。この話は、近所に住む方の話とも合致します。

 しかし、これだけ栄華を極めたものの、現在はその面影は見られません。それは宇土城主の小西行長により放火され跡形もなくなり、現在の忘れられた存在になったということですが、最新の研究では小西の信仰による寺社破壊は否定されつつあります。

 この中の住職の一人に祐春(ゆうしゅん)和尚がいましたが、その和尚が彫ったと言われる六地蔵が今も御船の「東禅寺」に存在します。

 

 養寿院


 

文責・甲佐町文化財保護委員 石坂 妙 (吉田区)   

 

 


お問い合わせ

甲佐町教育委員会 社会教育課 文化財係
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