甲佐町の文化財探訪「吉田区について」〜令和5年2月号
更新日:2023年2月1日
「吉田区について」
ある時家の近くで、井戸端会議をしていたら一人の人から「吉田には古いものが何にもないよね。あるのは神社くらい。」と言われました。そう言えば本当に神社しかありません。
そこで吉田という地域について少し調べてみることにしました。まず地名に詳しい中嶋敬介さんが以前書かれていた「吉田」についての記事「地名考」(※1)をヒントにして、再度お話を伺いに行きました。それには「地名は土地に書き残された先人のメッセージである。我々は〜」の書き出しで始まるものです。それによると「吉田」は府領の出村(枝村(えだむら))として誕生しました。
加藤清正の緑川改修以前は現在の様な川ではなく、幾本かの支流が存在していてその中の一つに吉田もありました。それが加藤清正の河川改修によって府領から吉田が分離して現在の地に移りますが、以前の地は畑地が主でしたが、新天地は広大な水田それも糸田ぜきからの用水路(井手)で潤された土地でした。これにより府領の時よりも生活にゆとりができてきます。
それにしても憶えているのは、車とてない昭和30年代、養蚕が盛んな頃は吉田には畑がなく桑も対岸の府領まで、渡し船に牛や馬を乗せて行っていたことです。現在対岸の畑に行く人も見かけませんが、どうなったのでしょう。
※1 中嶋敬介 1980 「地名考(4)ヨシダはアシダ」」 『ふるさと』第9号 甲佐町文化協会
文責・甲佐町教育委員会 北里 義友(津志田区)
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