甲佐町の文化財探訪「宮尾の観音堂」〜令和3年10・11月号
「宮尾の観音堂」
宮尾橋から坂道を登り右に曲がると一段高いところに宮尾の観音堂があります。
観音堂は木造瓦葺き(かわらぶき)で南向きに建てられており、間口(まぐち)3ⅿ、奥行(おくゆき)4ⅿのお堂です。
堂内の本尊は、木造観音菩薩立像(もくぞうかんのんぼさつりゅうぞう、約30cm)で、地元では、「馬頭観音(ばとうかんのん)さん」と呼ばれています。
甲佐岳の福城寺(ふくじょうじ=美里町)境内に牛馬安全の守護仏として安置されている木像の馬頭観音像(美里町指定文化財)は、古くから広く信仰をあつめており、毎年1月18日には、夜明け前から多くの畜産家が参詣(さんけい)していました。宮尾の古老によると、この宮尾の観世音菩薩は、福城寺から明治初めに伝えられたそうです。またお堂の欄間(らんま)に白毛馬と栗毛馬が天に向かって躍動している姿の絵馬も奉納してあったそうですが、「残念ながら絵馬は色があせてしまい、古くなって朽ちてしまった」、とのことでした。明治30年代には宮尾で大火災が起こり家々はことごとく燃え尽き、観音堂だけが残り,馬頭観音への信仰がより深まったと言い伝えられています。
ところで江戸時代後期から明治初期の甲佐は、名馬の生産地として有名で天保年間(1830〜1844)に書かれた「肥の後州名所名物数望附」(河島文庫蔵)(※1)に「甲佐馬 牧ハ無之といへとも家毎にそだつる折々は良馬も出来る」という評価で「前頭三段の一四」と記されています(新甲佐町史より)。明治11年の記録によると、本町では、馬1873頭 牛223頭と多くの馬が飼われていました。近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなっています。
本町には、多くの地区に馬頭観音が祀られています。それは、甲佐町に多くの馬が飼われ、馬は家族の一員として大事に育てられていたのだろうと推察されます。それぞれの地区にある馬頭観音は、村の人々の歴史を語るものでもあります。
※1 この資料は相撲の番付になぞらえて熊本の名所などのランキングを発表したものです。
文責・甲佐町文化財保護委員 赤星 眞照(有安区)
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