甲佐町の文化財探訪 「廃寺 円福寺について」〜平成31年2月号
更新日:2019年2月1日
「廃寺 円福寺について」
早川にあった廃寺 円福寺について書こうと思います。
甲佐の人々は「小西行長にあまりいい感情を持っていない」のだそうです。その理由は早川城主、渡辺氏と関係があるかもしれないと思います。
渡辺氏に関係する寺には西福寺がありますが、それより前の永正(えいしょう)年間(1504〜1521年)に建てられたのが、円福寺だったのだそうです。これは、渡辺秀邦が建立(こんりゅう)した禅寺で、住職の名は春蔵主(しゅんぞうす)といい、舞の原の戦いに渡辺氏と共に出陣し、討死したといいます。
住職が亡くなった寺は、弟子の善忠がそのまま引き継ぎましたが、その後、小西行長によりこの地が治められることになり、小西の家来が寺に移り住んだ際に寺を壊し、屋敷を建てたということです。
また、早川には円福寺にあったとされる一木造り(いちぼくづくり)の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)が現在まで残り、町の文化財にも指定されています。寺が破壊されたにもかかわらず、500年以上にわたり村人を静かに見守る姿に安堵さえ覚えます。
像の背面には、作った理由や年月日(永正10(1513)年)も書かれています。
文責・甲佐町文化財保護委員 石坂 妙(吉田区)
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