甲佐町の文化財探訪「府領の塚畑」〜令和3年12月号
更新日:2021年12月1日
「府領の塚畑」
「府領の塚畑」は、府領区公民館から北西へ約300mのところにある死者を埋葬した15坪ほどの塚です。
戦国時代の天正8年(1580)、阿蘇郡・益城郡・宇土郡一帯を治めていた阿蘇大宮司惟将(あそだいぐうじこれまさ)の家臣であった隈庄城主甲斐守昌(かいもりまさ)が反旗を翻し、薩摩の島津氏と手を組みました。そのため、惟将の命を受けた御船城主甲斐宗運(かいそううん)は、早川城主渡辺越前守吉秀(わたなべえちぜんのかみよしひで)、甲佐(松尾)城主伊津野山城守武綱(いずのやましろのかみたけつな)を率いて隈庄城を攻めました。これは「隈庄合戦」と言われております。
この合戦に早川の円福寺住職春蔵主(しゅんぞうず)も参戦しましたが、命を落としてしまいました。そのため、共に従軍した弟子の善忠(ぜんちゅう)が住職の敵(かたき)をとり、住職の首と敵将の首を携えて円福寺の末寺児成庄(まつじ こなりのしょう)(現在の府領)本営寺に帰りました。戦いの様子を聞いた本営寺の老僧善仲(ぜんちゅう)は死者を哀れみ、早川勢の亡き骸(なきがら)を見分けて早川へ送りましたが、どちらの者か分からない亡き骸は府領のこの地に埋葬し死者を悼みました。
現在でもこの地は「塚畑(つかばたけ)」または「首塚(くびづか)」と呼ばれています。
文責・甲佐町文化財保護委員 北里 義友(津志田区)
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