甲佐町の文化財探訪「重兵衛犂(じゅうべえすき)」〜令和4年12月号
更新日:2022年12月1日
「重兵衛犂(じゅうべすき)」
甲佐町民俗資料館(宮内地区社会教育センター内)の第一室にある犂(すき)は、「上熊本駅前 東洋社」そして「日の本號(ごう)」の刻印があります。「日の本号二段耕犂(こうり)」と呼ばれるものです。この犂は、日本の畜力犂の完成形といわれています。
明治・大正期の農家にとって「使いやすくて長持ちする犂」は、家宝だったそうです。その日本の近代犂に夜明けをもたらしたのが重兵衛犂です。重兵衛さんは幕末の文久三年(1863)、甲佐町上早川(旧竜野村小原)の農家に生まれました。戸籍名は伝蔵ですが、重兵衛と通称されていました。22歳の重兵衛は隣家から借りていた犁を石にひっかけて折ってしまいました。 「大変なことをした」。重兵衛はナタで犁をこさえて返しました。それはとても性能がよく、たちまち村中に評判になりました。以来、重兵衛の所に犂作りの依頼が殺到しました。はじめは商売でないからといってただで作っていましたが、注文があまりに多いため弟子や雇い人をおいて犂屋を開業しました。重兵衛犂は「甲佐の重兵衛さんが作らした」ということで、甲佐犁とも呼ばれました。
この重兵衛が農機メーカーの東洋社のはじまりです。 東洋社は改良犂づくりに心血を注ぎ、「日の本号犁」は全国を風びしました。写真の二段耕型なども生み出し、戦後30年代からは農機メーカーに転進し、現在は日立建機ティアラとなっています。日立建機の社史に「1863年(文久3年)始祖・田上伝蔵、熊本県にて長床犂を製造し東洋社の礎を築く」と記してあります。
文責・甲佐町教育委員会 赤星 眞照(有安区)
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