甲佐町の文化財探訪 「西福寺」〜平成29年9月号
更新日:2017年9月1日
「西福寺」
西福寺は早川城跡の北側の裾野(すその)にあります。この寺が創建されたのは、戦国時代の後半だと伝えられています。
現在では考えられませんが、当時は九州の覇を競わんと弱者は強者を頼り、お互いを庇(かば)い合いながら、生き延びる世だったのでしょう。
西福寺を創建した早川(そうがわ)氏は、元々、渡辺という姓でしたが、早川の地に来た際に早川氏を名乗り、御船の甲斐宗運と一緒に矢部大宮司(阿蘇氏)の家臣として、相良氏や島津氏との戦いを繰り返していました。
その中でも有名なものが天正8(1580)年の隈庄合戦だといいます。隈庄というのは古くから交通の重要拠点でもありました。そのため、この地を巡っての戦いは熾烈(しれつ)を極めたそうです。この戦に矢部方の武将として出陣した渡辺吉久は、宇土の将として刺し違えて戦死してしまいます。
また、天正18(1590)年秋に島津の大軍が押し寄せると、早川一族は各地に落ち延びました。その中で幼少の矢部大宮司を連れ出し、生き延びさせたのは渡辺吉次でした。吉次は、島津の追手と戦い、戦死しましたが、この西福寺は、その吉次を弔うために吉次の兄が後に建立したものと伝えられています。
現在も昨年の地震で少し被害を受けましたが、由緒ある寺として存在感を示しています。
文責・甲佐町文化財保護委員 石坂 妙(吉田区)
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