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甲佐町の文化財探訪「甲佐の古刹(こさつ) 清涼山壽専寺(せいりょうざんじゅせんじ)」〜令和元年11月号

更新日:2019年11月1日

「甲佐の古刹 清涼山壽専寺」

 本町には、浄土真宗の寺院が、12寺あります。その創立は、寺請(てらうけ)制度が確立した1630年から60年頃が多くなっています。これらの寺院は明治10年の西南の役で2カ寺を除いて焼失しています。

 その焼失を免れた2ヵ寺のうちの1つが下横田の壽專寺です。浄土真宗本願寺派のお寺で、本堂は寄棟(よせむね)づくりであり珍しく、郡内でも少ないほうです。

 住職のお話並びに郡誌や町史によると(詳細は※1参照)、寛永2年(1625)に菊池氏の末裔(えい)である僧、了西(りょうさい)によって創建され、壽專寺と号し、勝明寺(しょうみょうじ)の末寺に属し、その後、明治13年4月に本山直末(ほんざんじきまつ)に編入したことが伝えられています。

 本堂の建立年は不明ですが、熊本城を建築した大工が建てたと伝えられており、質素な丸太材の屋根組は力強く、幾多の災害を乗り越えてきています。本堂内の欄間(らんま)等の装飾は素晴らしいものです。町内の浄土真宗寺院として最初に建てられ、中心的な役割をはたしてきたらしいとのことです。建築当時を想像すると本堂に坐する老若男女の念仏の声が聞こえてきそうです。ただ、長い年月の中で色が褪せたり、彫刻が剥落(はくらく)したりしているのが残念です。本町内では、一番古い木造の建物であると思われます。住職によると本尊は、行基(ぎょうき)の作と伝えられているそうであり、県の文化財の指定も考慮されたとのことです。西南の役の戦災を免れ、また先の熊本地震においても少しの被害で済み、現在に至っています。本町の貴重な文化財です。

 

※1

「寛永2年(1625)開基了西創立。傳に云其先菊池二十代為邦の弟為安の後裔信隆の弟重隆菊池落城の後阿蘇郡内牧山田村に住し展生四年同村亀甲山福田寺に於いて薙髪(ちはつ)して法名を了西と改め寛永二年当地に一宇を創建し壽專寺と号し勝明寺の末寺に属す。明治十三年四月本山直末に編入。」

となっています。

 

壽専寺 遠景



 

丸太材の屋根組



欄間の装飾1



欄間の装飾2



欄間の装飾3



本尊




 

 

 

文責・甲佐町文化財保護委員 赤星 眞照 (有安区)   


お問い合わせ

甲佐町教育委員会 社会教育課 社会教育係
電話番号:096-234-2447この記事に関するお問い合わせ


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